社殿



神 様 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ) 伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)
事解之男神(こととけのおのかみ) 伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)
速玉之大神(はやたまのおおかみ) 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
建御名方命(たけみなかたのみこと) 日本武尊命(やまとたけるのみこと)
まつり日 1月1日新年祭 2月11日祈年祭
3月中旬泉蔵社祭 5月下旬摩利支天祭
8月中旬大祭 11月23日新嘗祭
場 所 横浜市磯子区中原4−24−17
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社殿
[いわれ]
当社の由来は建久3年(西暦1192)源頼朝が征夷
大将軍になった年、鎌倉四家の道場の内山崎泉蔵院の
僧真諦知覚印に治国安民の祈祷を命じたことに遡る。
頼朝の命を受けた知覚法印は、我が国第一の霊場とさ
れて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の
御分霊を樟の船に乗せ、祈りを込めて海に流した。
樟船は神意のままに旬日の後、中原の海岸に流れ着き、
この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じ
て、近くの地に神殿を建てるよう知覚法印に命じた。
知覚法印は、東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊
野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべ
く同年5月6日に着工し、11月15日に完成させた。
後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め、熊野三所権
現社の別当として当社に奉仕し国家安泰、万民和楽の
祈願を続けて来た。その間文禄3年9月(1594)
社殿再建、正徳5年(1715)26世善祐の祈り、
社殿は改築され規模は九尺に二間であった。その後安
政4年(1857)にも再度改築が施された。
明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め、
法印は神職となり約700年続いた泉蔵院は廃寺とな
った。
明治43年神社統合令により、村内の中原明神・諏訪
神社の二社が合祀された。大正4年社殿の改築が行わ
れ本殿は二間に一間半の明神造り、幣殿は二間に一間
半、拝殿は二間半に二間半向拝付き銅茸きの建物とな
った。
35世杉原章夫の祈り、社殿新築の議が起こり、昭和
62年12月に現社殿が完成した。本殿は二間に一間
二五の神明造り、幣殿は二間に一間七五、拝殿は三間
半に二間唐破風付き銅茸きである。


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