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当社の由来は建久3年(西暦1192)源頼朝が征夷 大将軍になった年、鎌倉四家の道場の内山崎泉蔵院の 僧真諦知覚印に治国安民の祈祷を命じたことに遡る。 頼朝の命を受けた知覚法印は、我が国第一の霊場とさ れて居る紀州熊野に参籠して幣帛を捧げ、三所権現の 御分霊を樟の船に乗せ、祈りを込めて海に流した。 樟船は神意のままに旬日の後、中原の海岸に流れ着き、 この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じ て、近くの地に神殿を建てるよう知覚法印に命じた。 知覚法印は、東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊 野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべ く同年5月6日に着工し、11月15日に完成させた。 後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め、熊野三所権 現社の別当として当社に奉仕し国家安泰、万民和楽の 祈願を続けて来た。その間文禄3年9月(1594) 社殿再建、正徳5年(1715)26世善祐の祈り、 社殿は改築され規模は九尺に二間であった。その後安 政4年(1857)にも再度改築が施された。 明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め、 法印は神職となり約700年続いた泉蔵院は廃寺とな った。 明治43年神社統合令により、村内の中原明神・諏訪 神社の二社が合祀された。大正4年社殿の改築が行わ れ本殿は二間に一間半の明神造り、幣殿は二間に一間 半、拝殿は二間半に二間半向拝付き銅茸きの建物とな った。 35世杉原章夫の祈り、社殿新築の議が起こり、昭和 62年12月に現社殿が完成した。本殿は二間に一間 二五の神明造り、幣殿は二間に一間七五、拝殿は三間 半に二間唐破風付き銅茸きである。 |
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